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2005年05月06日

「三人」

(やけに遅いなあ)
伯郎は喫茶店「夜汽車」で昌子を待っていた。
先ほどから何十回と見ている腕時計に再び目をむけると時計の針は12:50分を指していた。昌子と約束した時間からもうすぐ一時間経過しようとしている。(あと十分経って昌子が来なければ、昌子の家に連絡を入れてみよう)そう決心して、五杯目の氷の溶けたぬるい水を飲み干したとき、店の電話が鳴った。
まもなくおもむろにウェイトレスが間延びした声で叫んだ。
「お客様で木下様いらっしゃいますか?お電話が入っております」
(昌子からだ・・・)
先ほどまで待ちくたびれて死んだ魚のような目をしていた伯郎だったが、急に目を輝かせて必要以上に大きな声を出した。
「はい、木下です!」
ウェイトレスは少し苦笑してから、こちらへどうぞ、と言いレジの横においてある公衆電話に案内した。
「も、もしもし、俺だけど・・昌子?」
伯郎はおそるおそる受話器に向かって呟いた。
「ええ、ごめんなさい、伯郎君・・・」
昌子の声は幾分疲れているようで、元気が無かった。
「どうしたの?何かあったの?」
「本当にごめんなさい。ちょっと大変なことがあって。もう一時間も待たせちゃったね」
「いいんだよ、俺は。もし来れないんだったら、新宿ぶらついて帰るからさ」
「あ、今日行けないってことじゃないの。今新宿駅にいるんだけど・・そうねあと20分待ってくれないかしら。図々しいお願いだけど・・」
「おお、なんだ。じゃあ来れるんだね。良かった。待ってるから」
てっきり昌子とのデートは中止になったと思っていた伯郎は、昌子の言葉を聞いて急に元気を取り戻した。
「それで何があったの?大変なことって?」
「うん、話せば長くなるから、お店で話すね」
「なんか勿体ぶった言い方だなあ。まあいいや」
「それとね、伯郎君。あのね・・・」
「なんだよ?」
伯郎は普段ハキハキ喋る昌子が変に勿体ぶるので、不審に思った。
「実は、今お客さんも一緒なの。その人連れて行っていいかな?」
「お客さん?別にいいよ。ともかく早く来いよ。さっきから店員に変な目で見られてるからさ、飲み物一杯だけで粘ってるから」
「ほんとにごめんね、じゃ今から行くね」
「おう」
受話器を置いた伯郎は複雑な気持ちになった。

(昌子に何があったのだろうか?お客さんとは誰なのだろうか?男だったらどうしようか?)
伯郎は昌子が男を連れて幸せそうに店に入ってくる姿を思い浮かべた。
「実は彼私の大切な人だから是非伯郎君に紹介してしたくて・・・」
(なんて言われたら俺はどういう態度に出ればいいんだろう。)
「ははは、いやあ、友達の僕から言うのもなんですが昌子さんはとってもいい方なので大切にしてくださいね、あはは、あは」
伯郎はこんな見え透いたお世辞だけは絶対言いたくないのだが、思わず言ってしまいそうな気がする。
(いや待てよ・・昌子は初めは二人で会うつもりだったのかもしれない。今日偶然「お客様」と出会ったのだろうか?)
つまらない想像力だけ豊かな伯郎は再び考え込んだ。
(もし、昌子が出会った人が高校時代の恩師だったりしたらどうしよう?昌子は頭いいから自分まで同類と思われてしまったら困るぞ・・)
「いやあ、昌子くんは非常に優秀でよくできた教え子でして、御友達を紹介してくれると言うんでついてきました。ところであなた専攻はなんです?哲学なんか興味ありますか?いやあ私はフランス革命時に登場した様々な思想家に興味ありまして・・」
(うーん、困ったぞ。哲学者は分からんぞ。プラトンってなんだっけ?あれはギリシャだったかなあ。我思う故に我あり、考える葦はどういう意味だ?チクワの穴は何であいてるのか?未来を見るためか?)
伯郎は自分の勝手な想像に逆に支配されてしまい、余計に混乱した。
(ちくしょう、こんなことだったら哲学もっと勉強しておけば良かったなあ)

伯郎の脳裏には昌子の発した「お客様」という言葉を出発点とした様々なイメージで一杯になっていたので、加えた煙草に火をつけるのを忘れていることに気づく余裕はなかった。もちろん先ほどから彼のほうを見て小声でささやきながら笑いをこらえている二人のウェイトレスの存在も、である。

午後一時を少し回った頃、店のドアが開いた。
伯郎は真っ先に入り口へ目をやった。そこには昌子が辺りを見回しているのが見えた。しかし、昌子の言っていた「お客様」の姿が見えない。
昌子は伯郎を見つけると、はにかんだ。それはいつもの昌子が見せない子どものような無邪気な表情だった。
伯郎は思いのほか昌子が明るいのに安堵した。
昌子が足早に伯郎のもとに向かって来る途中で店のついたてを通り過ぎたときに、伯郎の目には信じられないものが飛込んできた。
「あっ!」
昌子はやはり「お客様」を連れていた。伯郎が想像していたようなおしゃれな男でも、いかつい顔をした恩師でもなく、幼い少女であった。しかもその少女は見覚えがあった。先ほど新宿のホームでぶつかってきて、伯郎を「おじちゃん」よわばりした、あの少女である・・・・。
(なんで、あの子と一緒なんだ・・・)
「本当にごめん!伯郎君。一時間以上も待たせちゃったね。この借りはきっと返すから」
昌子は伯郎の元にやってくるなりひたすら頭を下げた。
「ああ、気にすんなよ。それよりさあ・・」
「え?」
「昌子のスカートしっかり握ってこっちを見ている、その、小さいお客様はどちら様?」
「あ、そうね。すっかり忘れてた。ごめんね真希ちゃん。今私が紹介してあげるから」
昌子はその少女に微笑みかけた。
「へえ、真希ちゃんていうんだ。よろしくね。おじちゃんのこと覚えてる?」
少女はこくりとうなずいた。伯郎はその時はじめて少女の目が泣きはらした後のように真っ赤であることに気づいた。
「え!伯郎君、真希ちゃん知ってるの?」
昌子は伯郎の言葉に驚いた。
「あ、いやあ。知ってると言うかさあ、この子さっき中央線のホームでいきなりぶつかって来てさ、大丈夫?って聞いたら「ありがとおじちゃん」って言い残して逃げちゃったんだよ、ははは」
「さっき、って待ち合わせた時間の少し前よね・・。なんて偶然なの・・。その時私もホームにいたのに・・」
昌子は呟いた。
「まあ、ともかくさ、座りなよ。立ち話も変だぜ」
「うん」
「何か頼もうか。今日暑かったから喉かわいただろう?えっと真希ちゃんだっけ?なにがいい?」
真希は伯郎に声をかけられおびえた表情を見せた。
「真希ちゃんは・・そうねえ。オレンジジュースでいいかな?」
真希はこくりと頷いた。
ウェイトレスに注文を済ませると、昌子は出された冷水を一気に飲み干し、「ふう」と溜め息をついた。
「さて、と何から話そうかなあ。伯郎君驚かないで聞いてね?いい?」
「ああ、いいよ」
伯郎は昌子が男を連れて来てないことに大きな安堵を覚えていた。
しかし、次の瞬間、昌子の言葉を聞いたとき彼の表情は凍りついた。
伯郎は昌子の言葉に耳を疑った。
「え、昌子今なんて・・・」
「ごめんなさい、突然だから驚いたでしょ。もう一回言うね。真希ちゃんは私の子どもなの、ねえ真希ちゃん?」
先ほどから黙ってオレンジジュースを飲んでいる真希は、こくん、と頷いた。 昌子の目は真剣だった。伯郎はあまりの驚きに酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせていた。
「ええっ、本当なのか?そ、そうなんだ、信じられないなあ」
伯郎は自分が何を言ってるのか分からなかった。混乱する頭で昌子の言葉の意味を把握しようとしたが無理だった。
「でね、伯郎君。この子のお父さんはね」
と、昌子が言葉を続けたとき伯郎は更なるパニックに陥った。子どもは母親だけでは作れない、父親が必要である。
(お父さん・・・ってことは昌子は結婚していたのか?嘘だ!しかもこんなに大きな子どもだぞ、五歳として今昌子は21歳だから・・仕込んだのは15!うわあ、考えたくない・・)
伯郎の混乱の度合いは最高潮に達していた。
「お父さんはね・・・」
伯郎は昌子の口から発せられるであろう次の言葉に全神経を集中し、ごくりと唾を飲み込んだ。
「いないの」
昌子はさらりとした口調で言った。
「そ、そ、そ」
「そう、世間で言う未婚の母ってとこかな」
伯郎は度重なるショックで茫然自失であった。
そんなことをまるで気にしていないかのように昌子は話を続ける。真希はオレンジジュースのグラスにささっているストローを加えたままじっと伯郎を見つめていた。
「ねえ、伯郎君。どうしてこのことあなたに話したか分かる?」
「・・・・・・」
「あなたのこと好きになったの。だから話したの」
「ねえ、聞いてるの?」
伯郎の頭脳の情報処理能力はすでにオーバーヒートしていた。したがって昌子の「好き」という言葉に対するリアクションをすることは不可能であった。「伯郎君、私と付き合ってくれない?」
「・・・・・・」
「やっぱしだめかな・・・」
返答のないことに落胆したのか、昌子は寂しそうな声で呟いた。
「ちょ、ちょっと待った。そ、その。何というか全てが突然でさ、訳わかんないんだ、ええと、真希ちゃんは昌子の子どもで、昌子は真希ちゃんのお母さんで、真希ちゃんのお父さんも昌子の旦那もいなくて、それで昌子が俺を好きで、今付き合ってくれるって言って・・・」
「そういうこと、分かってくれてるじゃない伯郎君」
「てことは、だよ。昌子」
「はい」
「昌子は俺と付き合ってくれるのか?」
「ふふ、今自分で言ってたじゃない、こんな私でよければお願いします」(どどど、どうしよう。昌子は子持ちだぞ。でも、昌子のことは好きだ。真希ちゃんはどうなるのだ?俺は真希ちゃんのお父さんになるのか。俺学生だし収入無いぞ、養っていけないぞ。ううう、こっちをじっと見つめないでくれ、真希ちゃん・・)
「やっぱし、だめ、かな」
「いや、いやいや、そんなことはない。お、俺も昌子のこと、ずっと好きだった。その、子持ちとか気にしないし、真希ちゃんのことはどうなるか分からないけど、うん。だから、その、本当に俺と付き合ってくれるの?」
「うん、良かった」
伯郎は昌子の返答を聞いて内心とんでもないことになったと思いながらも、先のことは考え舞いと半ば開き直ることにした。何はともあれ長年の恋が成就したのだ。そう思った途端喜びがあふれてきた。
「なんだか大変だけど、俺頑張るから。そうだ、真希ちゃん、お、俺木下伯郎っていうんだ。よろしくお願いします」
伯郎はまるで新卒の大学生が就職面接でするようなかしこまったお辞儀を五歳の子どもに向かって三度繰り返した。
次の瞬間昌子と真希は顔を見合わせて吹き出した。
何が何だか分からない伯郎はお辞儀の姿勢のままあんぐりと口を開けていた。「ど、どうしたの?」
昌子と真希はその言葉を聞いて再び大爆笑した。

「ごめんね、伯郎君。今までの全部お芝居なの」
昌子が全てのいきさつを話しはじめるのにはしばらくの時間を要した。思いっきり笑ったため、腹痛を起こしてしまったからである。昌子は水をごくりと飲み干して落ち着きを取り戻すとゆっくりと話し始めた。
真希との出会い、中央線のホームでのいきさつ、自分の過去のこと、そして芝居を打った訳・・・。
「私ね、どうしても自分が過去に子ども墜ろしてること言う勇気が無かったの。今までずっと引きずってたし、でもあなたのこと好きになり始めてる自分が押さえられなくなって来て、で今日伯郎君を誘ったの。電車の中で今日は絶対言うぞ、そしてあなたに告白しようって決心したんだけど、もしそのまま真希ちゃんと出会わずにあなたの前に来ていたらきっと言えなかったと思う。
でもね、真希ちゃんがその勇気くれたの。あの時、真希ちゃんが死んでしまったのかもしれないって思ったときにね、命の重さを知ったの。そして、死ぬってことがとても簡単で、殺すこともすごく簡単で。私は過去に自分の無知からひとつの命を自分で絶ってしまったってことに気づいて」
そこまで言ってから昌子は涙ぐんだ。
そして、一呼吸おいてからしっかりとした口調で言った。
「私は自分の過去を心の中に閉じ込めておくことがものすごく汚いことだと思ったの。子どもを墜ろすってことは人殺しでしょ。だから、伯郎君に、好きな人に、打ち明けたの」
「でもさ、あんな芝居することはないじゃないか」
「ごめんね、でも真希ちゃんと中央線のホームであんなことがあって、どうしても重苦しい雰囲気で真希ちゃんも元気なかったから、私が真希ちゃんに提案したの。私もおかげで元気になっちゃった」
伯郎はふと真希を見やると、店に入って来たときの難しそうな表情は消え、好奇心の目をくるくるさせている。
(ま、いいか)
伯郎は真希の表情を見て、自分をまんまと騙した二人の罪を見逃すことにした。
「で、どうするんだよ。この子。親に連絡しなくてもいいの?」
落ち着きを取り戻した伯郎は現実的な話題を昌子にふった。
「よしましょうよ、まだデートはこれからなんだから。一日はまだ長いわ。これから伯郎お兄ちゃんとお買い物行くんだもんね、真希ちゃん?」
「うん!行く、お兄ちゃん」
真希は即座に元気よく答えた。
「おいおい、さっきはおじちゃんだったのに、都合いいなあ」
「ふふ、お父さんって呼ばれるよりはいいでしょ?」
伯郎は先ほどの焦っていた自分の姿を思い浮かべ、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「そ、それだけはかんべんしてくれよ」
その表情を見て昌子と真希はふたたびくすくすと笑い始めた。
「じゃあ、行きましょうか」
喫茶店「夜汽車」をあとにした三人はぎらぎら照り付ける日差しの中を手を繋いで歩き出した。その姿はまるで親子のようだった。

中央線<完>

この小説は1998年
店主が当時発行していたメールマガジンに連載していた処女作です
はっきり言ってここに公開するのが恥ずかしいのですが
GWであっという間に日が経ち、カレンダーの隙間に埋めるために引っ張り出しました。

投稿者 tokito : 2005年05月06日 13:50

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